◆ 精神的必要条件 |
ここまでは、いわば法的、医学的注意事項でした。 |
◆ SMプレイのエッセンス |
だいぶ固い話が続きましたが、いわゆる「ノーマルセックス」でない、SMプレイを行うには、最低でもこれだけのルールは守らなければなりません。 さて、初級編と中級編の違いについて考える前に、そもそも、SMプレイのエッセンスとは何かを考えておきましょう。 SMというと、すぐに、鞭や蝋燭を思い出しますが、実は、鞭にしても蝋燭にしても、女性が拘束されていなければ意味がありません。 つまり、「拘束」こそは、SMの基礎、最低条件ということになります。 SMに関心のない(と自分では思い込んでいる)人からみれば、「何でわざわざ身動きできなくしてまで、セックスする必要があるのか?」ということになるでしょう。 実は拘束こそは、解放のための入り口なのです。 男であれ、女であれ、人間は普段は、社会的な立場性に雁字搦めになっています。会社では、上司に気を使い、部下をうまくあしらっていかなければなりません。 顧客に対しては、また、外向けの顔で対応しなければなりません。 そうした社会での立場性から最も自由だと言える、主婦でさえ、実は、「妻」という立場、「母」としての立場など、それぞれの役割を演じなければなりません。 こうして、私たちは、一日の活動の大部分をそれぞれの立場に最適な役割を演じることで過ごしています。 それが当たり前の習慣になってしまって、「本当の自分」は何重もの仮面の下に埋もれてしまっています。 本来ならセックスはそうした仮面を脱ぎ捨てられる唯一の機会のはずなのですが、そのセックスさえ、昼間の立場性、役割性、仮面が尾を引いて邪魔をするため、「本当の悦び」を知らないままに「セックスの悦びなんて、この程度のものなのだ…」と納得している、いや、そう自分に思い込ませようとしているだけなのです。 そこで、ちょっと発想を変えてみます。日常の活動の大部分と同じように、セックスの場合にも制約を設けてみたら…?それも、精神的な制約ではなく、文字通り肉体的な拘束状態を生み出したら、どうなるでしょう? 肉体的拘束により、逆に、昼間役割の枷に填められていた心、精神が自由を獲得するのです。 そして、本当に精神が自由になるときこそ、真の官能の快楽を手にすることができるのです。 |
◆ 初級と中級の異同 |
SMプレイのエッセンスは拘束にあるということが分かると、初級と中級に質的な差はないということがたちどころに分かるはずです。初級でも中級でも同じように拘束が条件です。 |
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