◎ SMの最上の相手は? |
「SMをしたい。だけど、相手がいない」、「相手がいても『SMしよう』なんてとても言い出せない」…。こんな悩みを誰にも相談できずに悶々と毎日を過ごしている 人は多いようです。相談しようにも、たとえ同性の相手でも、こんな悩みを聞いてもらえる人なんて、滅多にいるものではありません。 うっかりSMの相談など持ちかけようものなら、それだけで、変人、変態扱いされるのがオチです。 そこで、匿名性が守られるインターネットのフォーラムなどで、最近では結構SM談義が盛んなようですが、大抵はSMビデオでさえ、「家族には内緒」とか、「結婚を機に全て処分してしまった」という、同情に値する告白が多いものです。 特に、この「結婚を機に」大手を振ってSMが楽しめなくなったというのは、悲惨です。 これは結局、「SMというのは妻を相手にはしてはいけないもの」という、罪悪感があるからではないでしょうか? そこで、発想を180度転換してみてはいかがでしょうか? つまり、結婚を機に、奥さんを相手にSMを楽しむ、ということです。 まだ、未婚の人でも、結婚を前提に付き合っている人がいれば、結婚前からSMを楽しむのも夢ではありません。 ソフトにしろ、ハードにしろ、婚約者なり、妻なりなら、互いの合意の下に悪い病気に感染する心配などもなく、思う存分SMを楽しめます。 「でも、そんなことは絵に描いた餅、机上の空論に過ぎない!SMビデオでさえ、妻の外出中に隠れて見るか、ビデオボックスに出向いて見ているというのに、どうやって正面切って『SMしよう』なんて切り出せるのか…?」と、再び書き出しの部分に戻ってしまうのでしょうか? そんなことはありません。ただし、それには周到な準備−−場合によっては、年単位の準備−−が必要です。 「そんなに待てない…」?−−急がば回れ、慌てる○○はもらいが少ない…と言うではありませんか。 |
◎ 日頃のコミュニケーションが大切 |
さて、新婚間もない夫婦を例に考えてみましょう。 「○○子、今晩、ちょっと変わったセックスしてみないか?」などと切り出して、うまく行けば万々歳ですが、まだ倦怠期でもない新婚夫婦がこの台詞をきっかけにすんなりSMに入れる可能性はむしろ低いと言わざるを得ないでしょう。 恋人同士の時代はもちろん、新婚時代でさえ、女性は、結婚生活に甘く美しい夢を懐き続けているのです。そこに、いきなり、「あのいやらしい『SM』」が侵入してきたら、しかも、「愛するあの人がSM愛好家だったなんて…!」と、失望と落胆とに見舞われて、一気に事態が暗転する可能性の方がはるかに高いと言えるでしょう。 こうした最悪のシナリオを避けるには、日頃からコミュニケーションを密にしておくことが肝心です。 その日頃のさりげない会話の中に、それとなく、SM世界をちらつかせるのです。 そもそも普段から会話が少なかったら、その少ない会話のなかにSM的要素が顔を覗かせると非常に目立ってしまいます。 ところが、普段からお喋りをたくさんし合う間柄なら、SMの世界が会話の中にちらっと垣間見えても、他の沢山の話題に紛れて、相手もほとんど気が付かないくらいかもしれません。 「相手に気づいてもらえなくては、意味がない」と思われるかもしれませんが、それは違います。 「サブリミナル効果」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?例えば、映画のフィルムの中に一コマだけ、アイスクリームを美味しそうに食べている子供の写真を入れておきます。 そうした映画を見ると観客は、アイスクリームの画面は自分では気が付かなかったのに、知らず知らずの内にアイスクリームが食べたくなる、というのです。 この効果は非常に絶大なので、テレビや映画でそうしたテクニックを広告目的で使うことは禁止されているそうです。 いわばこのサブリミナル効果を、普段の会話の中に採り入れるのです。 |
◎ 間接法と直接法 |
ところで、普段のさり気ない会話の中にSMの話題を滑り込ませると言っても、具体例がないと、なかなかうまくいかないものです。 SMの話題を採り入れようと意識するあまり、かえって会話がぎごちなくなってしまって、「今日のあなた、何だか変よ」なんて言われたら、もうオシマイです。 そこで、まず、SMの話題の採り入れ方には、「間接法」と「直接法」の2つがあることを覚えておきましょう。 「間接法」というのは、「自分が…」、「あなたが…」と言った具合に、話し手である自分や話し相手である相手が直接に関わらずに済むような、話題の取り上げ方です。 それに対して、先ほどの「○○子、今晩、ちょっと変わったセックスしてみないか?」などというのは、自分や相手が直接関わることになるわけですから、「直接法」ということになります。 「間接法」は、「直接法」と違って、「露骨な言い方」でない言い方である、とも言えますが、単に露骨かそうでないか、というだけではないことに注意しましょう。 考えようによっては、「○○子、今晩、ちょっと変わったセックスしてみないか?」は、露骨ではありません。「SM」と言う言葉はここに出ていないからです。 「変わったセックス」という言い方で、少なくとも本人にはそれと分かる婉曲な言い回しが使われているからです。 けれども、普通なら、相手は、「『変わったセックス』って、なあに?どんなこと、するの?」と問いかけてくるはずです。 ここで、「SM」ということを隠すわけにはいかなくなります。 つまり遅かれ早かれ、「自分たちはこれからSMをやるのだ」、ということがばれてしまいます。 ここでのキーワードは「自分たちは」ということです。SMに限りませんが、他人事ならどんなことでも平気でいられるものですが、いざ、我が身に関係するとなると、とたんに身構えてしまうものです。その「構え」をなくすのが、「間接法」ということになります。 最初は、「直接法」は極力避けて、専ら「間接法」に徹するべきです。 |
◎ 間接法のきっかけはいくらでも転がっている |
では、「間接法」の話題とはどんなものでしょうか?
そのつもりなら、身の回りにいくらでも転がっています。 例えば、テレビのニュース。しかも、同じ事件でも、民間放送のように、センセーショナルでどぎつい、生々しい捉え方をするものがいいでしょう。 それから、週刊誌のセックス絡みの記事からは、SMの匂いが多かれ少なかれ漂ってきます。 ことさら、「SMビデオ」とか、もっと穏やかな、普通の「アダルトビデオ」まで行かなくても、ごく普通の映画やテレビで放映される映画でも注意してみているとSM的な状況や場面はかなりの確率で見つかるものです。 そうした、テレビや雑誌の記事などをうまく捉えて、それとなく、自分の感想を言ったり、相手に感想を聞いたりする…。 まずはその辺りから、SM的世界への感受性を養うようにするのです。 とは言っても、これだけだと、理屈ばかりで、実際のやり方が分からないかもしれません。 そこで、以下に一例を示しましょう。これは、「若いOLが、全裸で死体となって発見された」という、最近では、あまりショッキングとは言えない事件の報道がテレビで行われたのを見ながら、夫婦の会話ということにします。 夫:また、殺人事件か…。若いOLだってさ。どうして全裸で殺されたんだろう?
妻:今、「交際の縺れが原因と見て、捜査を始めた」って、言ってたわよ。 夫:それにしても、何で「全裸」で、なんだろう?全裸にしてから殺したのかな?それとも殺してから全裸にしたのかなあ? 妻:どっちでもいいじゃない、そんなこと。 夫:いや、大違いだぞ。全裸にしてから、殺したとすれば、生きている内に全裸の姿を見た訳だ、犯人は。それに対して、殺してから全裸にしたとすれば、死姦願望の持ち主だったのかもしれない。 妻:「シカンガンボウ」って? 夫:死体を犯して喜ぶ変質者のことだよ。 妻:わーっ、気持ち悪い。死体を抱くの? 夫:そういうことだな。だから、裸にしてから殺した、というのが普通だろうな。それにしても、どんな格好にして、殺したのかなぁ?そして、どんな殺し方かな? 妻:止めてよ、そんな話。何で、そんなに拘るの? 夫:綺麗な格好で、綺麗な殺し方をしたのか、ただ息の根を止めることだけが目的だったのか…?って、そこんところが、知りたくてね。 妻:綺麗な殺し方、だなんて。殺してしまったら、みんな同じじゃない。 夫:そこが違うんだなぁ。もし犯人がそのOLを愛していたのなら、汚い殺し方はしないはずだ。だけど、もし憎しみの情しか懐いていなかったなら、殺すだけで目的は達したはずだ。いや、憎しみが非常に強かったなら、ただ殺すんじゃなくて、苦しみ抜かせて殺す、て言う殺し方をしたかもしれない。 妻:ちょっと待って。今、「もし犯人がそのOLを愛していたのなら、汚い殺し方はしないはずだ。」って言ったけど、そもそも愛していたなら、殺したりはしないでしょ? 夫:確かに、「殺す」までは行かないかもしれないが、生きるか死ぬかのぎりぎりの所まで行き着くまで愛する、ってこともあるぞ。「死ぬほど愛して」なんて言葉もあるくらいだからな。……… 日常的にテレビから流れる殺人事件をきっかけに、このくらいの会話は、誰でもその気さえあれば簡単に展開できます。 けれども、この会話には「SM」という言葉も、「責める」とか、「快感」とか「それらしい言葉」は一言も出てきません。これでいいのでしょうか? いいのです。最初はこの程度から始めなければいけないのです。確かに「SM」のSの字も出てきませんが、内容的には、SMの精神はちゃんと滲み出していることが、「分かる人が読めば分かる」ことにお気づきでしょう。 もう一つ大切なのは、殺人事件という極端な所から出発して話題が展開しているという点です。 相手をSMの世界に誘い込もうと焦る人は、大抵、自分や相手という、いわば足下から出発しようとします。 これは、成功すればそれに越したことはないのですが、失敗すると二度と取り返しがつきません。 それに対して、テレビの向こうの世界という、自分とは全く関わりのない一点から出発するとどんなにどぎつい、非日常的な事件でも話の種にすることができるという、かけがえのない利点があります。 坂の下から、重い荷物を上に運び上げるのは非常な努力が必要ですが、坂の上からなら、どんな重い荷物でも楽に下ろすことができます。あれと同じです。 SMの意識の低い人や、その意識の全くない人をSMの世界に引き上げるのは大変な忍耐と努力が必要ですが、全裸殺人事件などという猟奇事件をネタにそこに含まれる さまざまな要素を薄めて、日常世界に引き下ろして来るのは、実にたやすいことなのです。 |
(次回に続く) |
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